ピアノと油絵(その2) [随想]

芸術の双璧とはいえ、かなり違った世界である音楽、その代表のピアノ演奏と美術、その代表の油絵の世界を比較する大胆な企画の第2弾です。

油絵は木枠に生地を張ったキャンバスをイーゼルに乗せ、油絵の具と油を混ぜ、筆で描くのが標準的は描画法です。しかし、これは絶対ではなく、油を使わなければ、使わないでも描くことができるし、筆は使わなくて指で描いてもかまいません。標準的なキャンバスである必要もありません。しかし、描きやすさから言えば、通常のキャンバスと筆、またはナイフを使うのが便利です。このとき、制限はキャンバスの大きさが決まっていることです。中には額縁にも絵の具を塗ってしまう画家もいますが、異端でしょう。そして、手前方向へは、絵の具の厚さで盛り上げることまでしか事実上許されていません。もちろん規則があるわけではありませんので、3次元的に造形する人もいますが、これは絵画の範囲を出ているものと思われます。このような制限の中で、芸術的価値を失わないように今までにない表現をすることが絵画の価値を決めます。

ピアノ演奏は再現芸術とも言われますが、油絵の世界を見た後ではあまりにも自由がありません。作曲者の意志は絶対で、作曲者の書いた演奏記号に沿って演奏しなければなりません。演奏者に与えられている自由は標準的な演奏の周りのちょっとした自由度です。どうして自由に弾いてはいけないのでしょうか。1つはコンクールの存在です。ピアニストへの道は厳しい競争の世界です。そして生き残るピアニストを選別する一番一般的な方法がコンクールです。コンクールでは審査員は雰囲気ではなく、厳格で公平な基準によって審査すべきと考える傾向があります。よって、ミスタッチは問題外として、曲のここはこうあるべきであるという価値観のもと審査するのかもしれません。ここで演奏記号を無視して演奏すれば、減点され、結局、生き残れません。このように自由に演奏する人は淘汰されてしまいます。本当にこれでいいのでしょうか。題名は忘れましたが、前に仲道郁代さんの番組を見たことがあります。仲道さんが、ショパンゆかりのピアノを弾いたりショパンの手書きのコメントの入った楽譜を見ていました。そこで彼女が発見したものはショパンは自身の楽譜にp(ピアノ)と書いていても、弟子によっては手書きでf(フォルテ)と書き直して演奏させていたということです。(逆だったかよく覚えていません)つまりショパンは自分の楽譜を神の作ったもののように取り扱うのではなく、弟子の個性に合わせて変更することを許していたし、それを薦めていたと思われます。

ピアノの世界だけを見ていたのでは、現状が当たり前に成りすぎて、不思議に思わなくなります。個性を争っている油絵の世界をみて、ピアノの世界をみれば、現状が間違っているのではないかと疑問が湧いてきます。例えば、音符は最低限守らなければならないが、テンポ、強弱は自由として、個性を競うコンクールは開けないのでしょうか。審査が難しすぎて不可能なのでしょうか。この問題、深く簡単に答えがでませんので、問題提起をして終えたいと思います。

PS:新しいコンピュータが届きました。リプレースのため、コメントへの返事が遅れると思われます。


2010-05-13 00:00  nice!(11)  コメント(22)  トラックバック(0) 
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Caelum

「何を目的とした演奏なのか」という所なのでしょうね。
再現芸術としてのピアノならば、厳格な演奏に対してより高得点を
与えるべきでしょうし、創作芸術としてのピアノならば、豊かな感性で
奏でられる自由な演奏に高得点を与えるべきでしょうし。
ただ「音楽に好き嫌いはあっても、優劣は無い」とは思いますケド。

アルゲリッチがショパコンの審査員をした際に「魂の無い機械が
はじき出した点数だけで判断するな」というような事を言ったとか。
それはつまり、楽譜通りの演奏ではアカンという事なのでしょうね。
by Caelum (2010-05-13 01:00) 

yablinsky

Caelumさん、素人のたわごとにおつきあいいただきありがとうございます。そうですね。再現芸術を否定するつもりはありません。少数でも感性を競うコンクールがあってもよいのではという提案です。アルゲリッチの話は有名ですよね。その後、彼女が審査員として呼ばれているということは彼女の主張は正しかったということでしょうか。
by yablinsky (2010-05-13 08:10) 

yablinsky

optimistさん、niceありがとうございます。
by yablinsky (2010-05-13 08:11) 

Cecilia

高校時代美術を選択したので3年間油絵をやりました。
やり直しが可能なところが油絵の魅力ですよね。
私は絵の具を盛り上げるように塗るのは苦手で薄く塗って重ねるタイプでした。
ピアノが発達した歴史と作曲家が絶対になった歴史は重なると思います。
それ以前は作曲家は絶対ではなく、演奏家のほうが偉かったりしましたよね。
作曲家は演奏家の注文に合わせて作り直したりしていました。
それとバロック以前は即興が当たり前で自由に演奏していたのだろうなと思います。(もちろん曲と演奏形態によりますが。)
by Cecilia (2010-05-13 10:10) 

matcha

高校時代は、管弦楽ばかり聞いてましたんで、ピアノを管弦楽に自動変換しながら、読んでください(汗...)。
ストコフスキーとトスカニーニの犬猿の仲ですが、これにまつわるエピソードは多々ありまして、トスカニーニは、楽譜を徹底して追求タイプ、ストコフスキーは叙情派で美化するなら、楽譜の信号や速度監視を無視するタイプ。ある朝、トスカニーニが、朝食を取っている時、ストコフスキー指揮のベートーヴェンの「田園」が流れてきた。しばらく聞いていたと思ったら、テーブルが揺れ始め、食卓をぶっ壊して出て行ったという話が残っています。僕も父が残したストコフスキーのベートーヴェンの固いレコード盤を聞いたことがありますが、あれはベートーヴェンではなく、チャイコフスキーだと思いました。注意していないと全く別の曲に聞こえるものがあるのです。
ストコフスキーは、ディズニーの「ファンタジア」でもわかると思います。
作曲家と演奏家では、ストラヴィンスキーの「春の祭典」をカラヤンが演奏した時、評論家のほうでかなり悪評が広がったことがありましたが、ストラヴィンスキー自らが、カラヤンの演奏を聞いたとき、大絶賛だったそうです。自分の曲に聞き惚れてしまったそうです。
yablinskyさんの語られていることが、わかるような気がします。
by matcha (2010-05-13 15:23) 

Enrique

演奏の自由度の無さを指摘しておられるのだと思いますが,「楽譜通り」というとMIDIベタうちの演奏になりますから,人間の演奏ならば結構楽譜と違う演奏をしていることになります。
その違いが,楽譜に忠実~編曲・改作に近いものまであるわけで,時代・人の好みなどにより揺れ動くのだと思います。
楽器に不案内な作曲家の作品の場合,演奏家が,演奏不可能な箇所などをより演奏効果が上がるよう直すのはある程度は致し方ないと思います。それが作曲家のお墨付きが得られれば一番良いのですが。
仲道さんの番組見ました(お嬢さんカワイかったですね)。ショパンなどはかなりデリケートに細かく譜面上で指示するわけですが,それでも作曲家自身がpとfの変更とかするわけですから,他は推して知るべし,私は結構自由度あると思います。ただ,その曲がその曲と認識されないといけませんから,それが限度だと思います。
楽譜の版が違うと音の数まで違うこともあるので,コンクール課題曲の場合は版の指定があるはずですね。
by Enrique (2010-05-13 18:55) 

yablinsky

Ceciliaさん、コメントありがとうございます。作曲者と演奏者の力関係は時代とともに変わったのですよね。今は作曲者は絶対的な存在ですが、これもまた時代が変われば変わるとかも知れませんね。

そういえばバロック時代の楽曲は今でもトリルの入れ方は演奏者に任せているのですよね。

Ceciliaさんが美術を選択していたというのは驚きです。絶対に音楽と思っていました。

by yablinsky (2010-05-13 23:05) 

yablinsky

matchaさん、いつもコメントありがとうございます。ストコフスキーとトスカニーニの犬猿の仲に関しては知りませんでした。早速ネットで調べてみました。この綱引きは時代を変えてずっと続いていくのでしょうか。しかしチャイコフスキーのようなベートーヴェンは一度聞いてみたいです。

評論家の評価を作曲者であるストラヴィンスキーがひっくり返したというのは痛快ですね。しかし、クラシックの作曲者の巨匠は死に絶えこのようなことは今は起こりませんね。そういえば、巨匠の死に関しても記事にしようと思っていたところです。近々書きます。

by yablinsky (2010-05-13 23:12) 

yablinsky

Enriqueさん、コメントありがとうございます。私の感覚でも結構自由度があっても芸術性を損なわないはずだと思います。もっとも私の感覚は素人なので間違っているかもしれません。しかし現状は違いますよね。審査員でも音大教授の審査は学理的で自由度のない審査をすると聞いたことがあります。

極論ですが、コンクールで電子ピアノを使い演奏をMIDI化して、理想的と思われる演奏のMIDIデータと相関係数を計算してみたいところです。もし人間の審査と一致していたら、問題意識がおこり、自由な方向へ向かうかもしれません。相関係数の設計はそれほど難しくないかもしれません。
by yablinsky (2010-05-13 23:21) 

nyankome

私も高校では美術でした。
お陰で今も絵を見るのは好きです。(描くのはちょっと・・・。)
>作曲者の意志は絶対
どうなんでしょうね。
ピアノの世界では、こう弾かなければいけないみたいなところがあると聞きますが、その解釈って作曲者の意図と同じなのか、疑問があります。確かにコンクールの影響はあると思います。コンクールって、ある意味個性をつぶすところがありますよね。
さて、音楽には最低限の決まりはあります。それを無視すると、個性的どころか、音楽が成り立ちません。例えば、舞曲はダンスと関係があるのは当然として、ジャンプするところは強拍です。
絵画だって、最低限のルールはあると思うのですが。
by nyankome (2010-05-14 01:13) 

REIKO

油絵(でも他の画材・技法でもいいですが)を「描く」のは、音楽に例えると、ピアノ「演奏」よりも、「作曲」行為に近いと思います。
作曲のような「無から有を生み出す」(いわゆる「クリエイティヴな」行為)
は、基本的に自由でなければできませんよね。
だから、自由なピアノ演奏をしたければ、自分で作曲すればいいのです。
ピアニストは作曲をしてはならず、他者の作品を弾くことしか許されない・・・なんて法律はないので、好きに弾きたければ作曲するべきだと思います。
「作曲できない」のなら、ピアニストは作曲家や作品に対してそれ相当のリスペクトが必要でしょう。
「作曲できないピアニスト」は、作曲家がいてこそメシが食えるんです。(笑)
それからほんとにスゴい人は、コンクールで落ちても(あるいはコンクール以前に)注目を浴びルので、コンクールで「規格外」の奏者は淘汰される・・・事に関して、そんなに心配する必要もないと思います。
・・・っていうか現状、そんなに新人が出てこなくても、ピアニストは十分人数足りてるので・・・♪
完全に供給過多!!!
by REIKO (2010-05-14 02:01) 

ながぐつ

yablinskyさんの記事および皆さんのコメント、興味深く拝見させていただきました。
だいぶ話はずれますが、Rシュトラウスが自作のオペラの練習に立ち会ったとき、歌手がオケが同じメロディーを演奏しているのがうるさくて歌えないと言ったところ、Rシュトラウスはそのオケの譜面から問題の箇所をあっさり消してしまったという話を聞いたことがあります。
作曲家と演奏者がリアルタイムでやりとりできればこういうことも出来るでしょうが、大半はそうでないですね。後から演奏する場合、僕も譜面を必要に応じて変えるなど、演奏者にもっと自由度はあってもいいような気がします。それをどう評価するかは聴衆がすればいいと思います。

by ながぐつ (2010-05-14 06:46) 

yablinsky

nyankomeさん、コメントありがとうございます。そういえばルノワールに行かれていましたね。作曲者の意図と大学の教授等の人が学理的にこうであったに違いないと、証拠を踏まえて作り上げてきたものであると思います。しかし、それが本当に正しいのかは誰もわかりませんね。結構、作曲者は柔軟ではないかと想像します。コンクールが個性をつぶすところでないことを心から期待します。

絵画はルールはないといっていいでしょう。私もルールを感じながら絵画を書いた記憶がありません。しかし、芸術性が失われると評価されないということが事実上制限をかけているように思います。

by yablinsky (2010-05-14 22:42) 

yablinsky

REIKOさん、コメントありがとうございます。絵画と作曲を比べると結構似ていますね。しかし、この記事はあえて違いものを比べて何か見えてくるものを探す企画なので違いがあることはわかっていて比べています。同じようなものを比べると見えないことがあります。

現状、ピアノ演奏はどこでも学べますが、作曲は教えてもらうのは大変ですね。

私は素人ですが、個人的には作曲者に対するリスペクトは不要と感じています。分業でいいのではないでしょうか。リスペクトは個人の話でそれを強要するものではいけません。この考えは音楽業界では異端でしょうね。しかしピアノ業界はちょっと作曲者を絶対視しすぎと思います。

by yablinsky (2010-05-14 22:53) 

yablinsky

ながぐつさん、コメントありがとうございます。matchaさんの話といい、ながぐつさんの話といい、痛快ですね。結構、作曲者は自分の作品に柔軟なのだとおもいます。特にピアノ業界の人が作曲者を特に絶対視しすぎています。のだめののテーマの1つは自由に演奏してもいいのではということだと思います。結構、共感した人も多いのではないでしょうか。
by yablinsky (2010-05-14 22:59) 

yablinsky

私は討論好きですので、こんなにコメントいただき本当に感謝します。返答に熱がはいりすぎたかもしれませんが、お許しください。
by yablinsky (2010-05-14 23:03) 

yablinsky

アヨアン・イゴカーさん、タケルさん、tamanossimoさん、niceありがとうございます。

by yablinsky (2010-05-15 23:59) 

matcha

今晩は。突然ここでのコメント、お許しください。
yablinskyさんに是非聞いて欲しいビデオがあります。
ストコフスキーの演奏(1943)に録音された、ホルスト「惑星」から「木星」。この曲は、通常ストコフスキーは、フィラデルフィア管弦楽団の常任ですが、この曲はトスカニーニの常任であるNBC交響楽団です。世界で最も残響の少ないオーケストラで、当時のアメリカの、ボストン交響楽団、ニューヨーク・フィルそしてフィラデルフィアから、団員を集めたつわもの揃いの夢のオーケストラと言われてます。
このNBCを指揮した記録です。
ストコフスキーは、レコード録音に深い理解を示した指揮者で当時の録音とは思えないほど、綺麗です。
書きたい事は、まだまだありますが、長くなるのでこの辺で・・。
http://www.youtube.com/watch#!v=bHKUohqS6RU&feature=related
へアクセスして下さい。
by matcha (2010-06-07 22:41) 

yablinsky

matchaさん、ストコフスキーの演奏、しっかり心に留めました。すばらしいです。決して古くない。というより現代私が耳にする演奏より優れていると思います。特にテンポの加速がすごい。通常、テンポがあまり変化しないところで急加速している。こんな演奏ができるとは感動です。matchaさん、ご紹介いただき心から感謝します。

ところで平原綾香の「ジュピター」、matchaさんにリクエストしたくなりました。もし機会がありましたらお願いします。

by yablinsky (2010-06-08 00:01) 

matcha

気に入って頂けると思ってました。この頃の指揮者は、今の時代の指揮者より、使命感を持っていたと思います。命がかかっていたというか、音楽へのハングリー感が強い。
今の時代は、議論をし過ぎて(情報過多)いて、何でも裸にしたがる。そのため、裸にする過程も知らない者が、裸を見ている「頓珍漢」な時代だというと極論でしょうか。
デヴェロッパーは、何も初演の指揮者だけではない。どんな指揮者、演奏家も曲の処女を破る権利を持っている。
と、僕は思います。
改めて、ストコフスキーの演奏を顧みると彼は彼の手でこの曲を自身の初演をし自分のものにしているという堂々とした演奏となるのだと・・・。そう思っています。
評論家にへつらうことなく、ライバルがなんと言おうと・・。
彼のムソルグスキー「展覧会の絵」(ラベル編)は、当時音楽愛好家の憧れの一枚でした。しかし、ストコフスキー自身、ラベル版だけでは満足せず、自分自身でこの曲を編曲した一枚も有名です。
僕は、ストコフスキーの演奏でも興奮を隠せませんが、彼より好きなのは、トスカニーニです。僕は、彼の指揮は、現代の指揮の基礎を造ったと考えています。彼のベートーヴェンの「運命」は、速いし力強い。しかもつわもの揃いのNBCですから、普通にレコード録音すると針が飛ぶという逸話も残っています。それだけ寸分の狂いもなく、残響無く飛び込んでくる音は、当時の録音技術では、どうしようもなかった。彼の演奏は、距離をおいて録音されているため、本物を推し量るのが難しい。彼は、レコードを缶詰の音楽という。録音だからと言って、手を抜かない。
長くなってしまいました。ごめんなさい。
きりが無いので、この辺で・・。
また、yablinskyさんの音楽論に寄せてください。
有難うございます。
by matcha (2010-06-08 09:39) 

matcha

すみません。平原綾香の「ジュピター」ですけど、恥ずかしいことに聴いたことがありません。
これから、聴いて勉強してみます。
その後、アップしようと思いますので、時間をください。
by matcha (2010-06-08 09:48) 

yablinsky

matchaさん、コメントありがとうございます。トスカニーニも気をつけてみます。レコードの針が飛ぶとはびっくりですね。レコードのアームには錘がついていてねじると重心を変えられるようになってましたね。昔のことを思い出しました。針が飛ぶのはレコードばかりと思っていましたら、この前CDの針が飛び同じところを繰り返し演奏してました。ちょっと汚れていただけですが・・・matchaさんのおかげですばらしい指揮者のことがわかり感謝しています。今後ともいろいろ教えてください。平原綾香は気にしないでください。ちょうどホルスト作曲の歌を歌っていたので思い出しました。
by yablinsky (2010-06-08 22:02) 

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